2007年9月27日木曜日

「瀬島 龍三さん」

この間、瀬島龍三氏が、お亡くなりになりました。95歳だったそうです。
政治の世界では、この間までの何とか言う総理大臣が、憲法改正をさけんでおりましたが、隣の古本屋で瀬島さんの本を見つけました。
関東軍参謀・シベリア抑留・伊藤忠会長などくらいの知識しかありませんでしたが、この本は、太平洋戦争開戦前夜の日本の政治、戦争に至った状況を、アメリカ・ハーバード大学での講演をもとに本にまとめたものでした。
戦後も60年が過ぎ、昭和の初め、また、日本が戦争に突入していった経緯に興味がありましたので、読んでみまして、思わず戦前の歴史への自分の思い違いに驚き、考えさせられるものがありました。
おりしも、この間の参議院選挙に東京地方区から東条英機氏のお孫さんが竜候補され、靖国神社のなんたらかんたらを訴えてそうですが、マスコミにも、さして取り上げられず、落選しました。(立候補の趣旨はよくわからないので、御免なさい)
この本では、東条英機氏(あえて、氏と書きます)のことにも触れております。
東京裁判の是非も、今、語られ、A級戦犯として死刑になりましたが、この本を読んでみると、「そんなに大悪人ではないな」という感想になりました。
この本で初めて、今までよく理解できなかった「明治憲法の統帥権」の意味が、理解でき、この統帥権が一人歩きをし、軍部の覇権争いが、戦争に突き進んでいった経緯がかかれておりました。
氏曰く(瀬島さんは、歴史家ではありません)、日本の開国の時代、日清・日露戦争と続く経緯は、アジアにおける欧米列強の脅威に対する日本防衛の結果であったといっています。
ただ、当時は、この統帥権も明治の元老が健在のうちは、ブレーキがかかっていたのですが、昭和になると、この元老がいなくなり、歯止めがかからなくなったといっています。
長くなるので、話を割愛しますが、太平洋戦争に突入していってしまったポイントは、満州事変の処理を間違え、日中事変に突入していったこと(ここで止めておけば、よかったそうです)が、太平洋戦争に進む結果になったといっています。
蒋介石総統率いる中華民国政府を、見あまったことだといっています。
そして、三国同盟は、最悪意だとも。
更に、現在にも適用することですが、当時の日本も資源自給率、生産力からして、とてもアメリカと戦争を戦える状態ではなかったとも。
でも、当時のブロック経済の中、日本においての満州の存在は、食料・資源において、日本が自立していく生命線であり、死守しなければならない事情だったそうです。
だだ、開戦直前まで、日本陸海軍は、アメリカと戦争をしようとは考えていなかったそうで、アメリカとの交渉の中でのボタンの掛け違いというか、外交べたや情報分析力の少なさなどで、戦争に突入していったわけです。
今、教育うんぬんの話もよく話題になりますが、日本は、どうしてこの戦争に至った歴史を学校で教えないのでしようか?
最近も「伊江島問題」「原爆投下」が、新聞を賑せましたが、その奥に潜む歴史の経緯を踏まえて、考えていかなければいけないでしょう。
この間も、NHKで、漫画家の水島しげるさんの戦争体験をやっていました。
山田風太郎さん、大岡昇平(字が違うかも)さんの本も出ています。
また、敗戦時の蒋介石総統の戦時賠償放棄にどれだけ当時の日本が助けられたのか、学校でこの時代の歴史をより正しく教えていないのは、どうでしょうか?
戦前の内閣総理大臣は、大臣の任命・罷免権がなかったて知ってますか?
陸海軍大臣は、陸海軍の推薦する現職軍人が就任するて知ってますか?
この陸海軍大臣が、辞めるといえば、内閣は、解散に追い込まれるのです。
だから、戦前は、次から次へ、内閣が、交代していったわけです。
もっとも、内閣総理大臣も天皇陛下から指名されるかたちなのですが。
最後に、何となく今でも、日本は、情報収集・分析、外交べたは、あまり進歩していないような・・・。

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